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Re: 私のひいきにしている女性作家
想像の余地とか、たぶんそういう何か。 |
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>18禁ではない
>もはやフェチ/変態だろそれ!と疑いたくなるようなネタ
>絵柄はとてもさわやか&清潔感があふれてて
どストライクです。非公開返信で詳細をお伝えくださ(ry
女性的な、女性が考える、形にする、エロスの表現って本当に官能的だと思う。
男はダメよね、ガツガツしていて嗜虐的な発想が先走っちゃって・・・
Re: おっぱい好きな女性なら、結構な割合でいるみたいなんですが。
無乳<微乳<稚乳<蕾乳<並乳<豊乳<巨乳<爆乳<魔乳 |
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おっぱいソムリエ、という言葉を久しぶりに思い出しました。おっぱいマエストラ、のほうが的確かも。
聞いてみた結果をお待ちしています。セクハラで訴えられない範囲でお願いいたします。
脚はさりげなく見られるけれど、胸は視線でバレそうですよね・・・・
Indigo Bird |
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自分にだけ、自分の本当を教えてあげたいと思う。
でもいくら言葉で伝えたって、文字で伝えたって、記憶は水面に浮かべたインクのようにじわりじわりと広がって、
そしてすぐに水とインクの境界が分からなくなって、それってつまり「最初から何も無かった」って事なんでしょ。
私は、そんなものでもやっぱり大切だと思ってる。 繰り返せば、少しは変わると信じてる。
でも、本当に欲しかったのはそれじゃない。 だけど、ただ優しい言葉でも、厳しい言葉でもない。
私には、私がもう一人どうしても必要だった。 「そうだね」とも「ちがうでしょ」とも、「ふーん」と興味なさそうにもしてくれる人。
私は、誰だ。 誰でもないし、どうでもいい。 ただ、ここに。
こがわみさきの描く脚がエロい。 |
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積み本していた空声読んだ。ここ数年の、こがわ少女の脚のエロさときたら。
ぶっちゃけ、描かれた脚というのは向かって左右に一本ずつの線に挟まれた空白でしか無いのだけれど、
その曲線によって表されるシルエットのなまめかしさには筆舌に尽くしがたい魅力があります。
特に脚フェチじゃなくても、世の男性はミニスカートから伸びる女性の脚に琴線を揺さぶられ、
幸せを感じたりするものなのです。もう、拝ませていただけるだけで。眼福。
黒タイツ嗜好には、シルエットが単純化されて際立つっていう効果も寄与してるんじゃないかなぁ、とか。
収録は表題の作品含め5編。
いつもながらの柔らかなこがわ調で安心のクオリティ。一話目が奇抜で本当に面白かった。
『男子高校生の日常』を思い出さずにいられなかったのは内緒です。
ところで、自分は特にホモっ気もないのに筋骨隆々な男性を見ると見事なマッチョぶりに目が行ってしまうのですが、
女性同士でも他人の脚のきれいさに目が行ったりするんですかね?
http://gt7u9x.sa.yona.la/803 |
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たかが一週間でここまでなまるとは
http://gt7u9x.sa.yona.la/802 |
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何もかもが疑わしい世界にも、たった一つの確かな幸せがあるとしたら、
それを見つけられた私はたまらなく幸運な星の下に生まれてきたラッキーマンだと、我ながら思うのです。
http://sbifb4.sa.yona.la/735 |
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末
調
整
書
く
の
が
メ
ン
ド
ク
セ
ェ
部活帰りのサンセット |
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下校途中にかけっこする小学生
ジャージ姿でお喋りに夢中な中高生
恋に惚けてふらつくカップルに
仕事帰りのぐったりサラリーマン
散歩に出かけるおじいさんと
誰かの帰りに備えて台所に立つおばさん
少し焦るように流れていく車と、流すようにペダルを漕ぐ自転車
仄かに肌寒い空気から逃げるように早足で歩く人
ミクロに見ればそれぞれの抱える思いやストーリーがそこにはあるのに
窓から覗けるそんな風景はただささやかに優しくて、そのはんぶんぐらい物憂えげで
そのありのままの全てがひたすらに愛しくて、懐かしくて
この頃の不調は、たぶん、そういうことなのです。
http://gt7u9x.sa.yona.la/799 |
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好きってなんだろ
僕が僕であるために必要な記号かしら
それとも、僕が僕であるからこそ好きなのかしら
あの人なら、なんて答えたでしょうか
今となっては、そんなことを聞くのは戸惑われますが
http://gt7u9x.sa.yona.la/796 |
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親しき仲にも礼儀あり。
分からない人のなんと多い事か。
Y |
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文の要約は上手ではないが、たったひとつの言葉、一番小さな単位であらわすのは簡単だった。
いつだってそうやって、そしていつも誰も受け取ってくれなかったけど、
それでも壁とキャッチボールするように、投げ続けるのは義務のような感じであって。
それでも、大事な人との別れ際に投げかける言葉は、いつも投げられなかった。
最後まで悩んでいた。
ありがとう なのか さよなら なのか。
相手は壁じゃない。
どうやって投げたら取りやすいだろう、私のせいで取り落としたらどうしよう、もし投げかえってきたらどう返そう。
悩みながら、焦りながら、ボールを握り締めた手を後ろ手に隠して、空いた手で手を振った。
あの日見た顔は忘れてしまっても、なげられなかったボールはいつまでも残ったまま。
ひとつ、ふたつ。
これは私の思い出じゃなくて、かといって誰かの思い出でもなくて、ただ投げられて終わるはずだったのに。
余計に増えた重さを支えて、私の土台は狭くなった。
そしていつまでも捨てられない言葉を、集めて並べて鑑賞する愚かさ。
私はまだ、過去とのつながりを未来に望んで、両手を埋めたまま未来を眺めてる。
F
http://gt7u9x.sa.yona.la/794 |
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溢れ出る言葉じゃ、明日を作れない